学生時代に友達が「あいつ病んでるらしいよ」と教えてくれた時、貴方はどうするだろうか。助ける?それとも距離を置く?どのアクションを起こすにしても対象者にプラスのイメージを持つ人は殆どいないであろう。
現代社会では何も考えてないことを悪とする風潮がある。しかし、多くの場合が考えすぎや考えがまとまらないことで起こる「病む」という状態に悪いイメージを持つのはなぜだろう。
私はこれまで病んでいる人の相談に何度も乗ってきたが、何も考えていない人に出会ったことがない。各々、今の自分にとって障害となる事象や感情を処理できずに病んでしまっている。
生きていく上で事実と感情が同じステージに立てることはほとんどない。この時に感情の矛先を他人や物に向ける人と自分の中で消化できる人がいる。人間は基本的に前者として生まれ成長して後者になっていく。赤ちゃんを例にみると、気に食わないことがあると物を投げ泣きわめく。しかし、大人になって気に食わない事があって物を投げる人は殆どいないであろう。この成長の過程で感情を処理しきれず「病む」という状態が発生してしまうことが多い。
もちろん「病む」という状態には多くの種類があり上記の「病む」はほんの一部にしか過ぎない。しかし思春期の学生の多くの場合でみられることであり、成長するうえでは欠かせない事である。
もしこの「病む」状態を経験せずに感情を他人や物にぶつける人しかいなくなったらこの世は崩壊するだろう。この世の中は「病む」を経験した人たちの我慢の上、成り立っているといっても過言ではない。
つまり、「病む」状態はこの社会において欠かせない事でもあるのだ。
中高生で病んでいて、もがき苦しんでる子達やその周囲の子達がこのことを理解し、「病む」状態に寛容になれたらきっと社会はもっと明るいものになるだろう。